発起人の木村です。今回の更新が、クラウドファンディング期間中の最後の活動報告になるかもしれません。
邦訳が2019年に出版されたスティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』。優秀な生徒たちと抜粋・要約を教室で読み、著者のスピーチを聴き、議論した、懐かしさを覚える一冊です。膨大なデータを示しながら「いま人類はかつてないほど良い時代を生きている」と論じた著作は話題を呼びました。
しかし、この本が書かれた頃はウクライナ侵攻も、そしてパンデミックさえまだ始まっていませんでした。2025年の現在、「世界はますます安全になっていっている」などと言えようはずもありません。もしも現在のわたしたちが、今もこの本からなにかしらのメッセージを引き出せるとしたら?それは、「価値のあるものは、それを所与のものとして考えずに、護り、次代に渡していくための意識的な努力をしなければならない」ということなのではないでしょうか。「戦後」という言葉を発したときに、それがまだ二次大戦を指すことができるという(あくまで相対的な)幸福を享受しているわたしたちにとって、伝えていくべきものの筆頭とは、憲法と、そして文学の翻訳であると考えています。
文化遺産とは、残していく責務のあるものだと思います。文学に関わるリファレンスとは、単なる記憶装置をこえて、「触れたい」と誰かが思い立ったときにその希望を叶えてくれる、知識と体験の源泉であると考えています。たとえそれが、何に触れたいのかがまだわからない場合でも。
ここで少しだけ遠回りをさせてもらって、発起人が比較的近年知った文学関係のリファレンスのなかから、おそらく広くは知られていないが稀少なように思えるものをふたつだけ紹介させていただきます。
・『ラテンアメリカ文学邦訳作品目録』(立教大学ラテンアメリカ研究所、2000年)
1925年から2000年3月までに日本で出版された1201点の「イスパノアメリカ文学(スペイン語圏文学)」を日本語五十音順に並べた驚異的な書誌。編者は内田兆史と木田いずみですが、編集協力の欄には、現在精力的にラテンアメリカ文学の紹介に携わっている翻訳家の名前も発見することができます。
「「翻訳作品集成」のサイトがあるのだからそれで十分では?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしこの書誌は、アンソロジーなどに限らず雑誌掲載の短篇小説や詩、その翻訳家まで網羅している一冊となっています。たとえばオクタビオ・パスの詩は『中央公論』『海』『るしおる』など掲載された雑誌がきわめて多岐にわたっていますが、そうした書き手の作品掲載歴も容易に一望できるかたちになっています。『GS』に掲載されたホセ・レサマ・リマの評論、20世紀に訳されたジュノ・ディアスの作品、野谷文昭がNHKスペイン語講座のテキストに訳したルベン・ダリオの作品など、ページをめくっているだけで発見は尽きません。
・李漢正「日本の韓国文学翻訳書誌一覧(1945~2016)」(『韓国学研究』44、仁河大学校韓国学研究所、2017)
活動報告の第一回で紹介したKBOOK振興会理事の舘野晳さんに取材した折に貸与いただいた資料。1945年~2016年までに日本で刊行された韓国文学の書籍を小説、詩集、児童文学、戯曲、古典文学の5つのジャンルごとに通時的にリストした書誌です。執筆言語は韓国語ですが書誌の部分は日本語で書かれており、韓国文学の翻訳家から一般読者まで必携の資料ではないでしょうか。舘野さんによると漢字のミスがいくつかあるそうですが、学術的かつ網羅的な書誌です。韓国の学術誌に発表されたものですが、KCIなどのサイトで無料で、合法的に公開されています(アカウント登録も不要、「일본의 한국문학 번역서지 목록(1945~2016)」で検索すれば出てきます)。
ここで話題は、ようやく『jem』に行き着きます。
まだ作成段階ですが、今号のアンナ・ザレフスカさんの論考「ポーランドにおける日本近現代文学―『不如帰』から李琴峰まで」(芝田文乃訳)の附録として、次のような学術的な書誌が付されます。冒頭のみ紹介します。
あるいは、批評家イ・ジヨンさんの「韓国SF―ジャンル固有の特性と現代的テーマ意識」(廣岡孝弥訳)も、10年後にも参照し直す価値のありそうな、異様な密度の論考になっています。なお、ジヨンさんの別の論文は、慶應義塾大学の学術誌(ないし紀要)にこの秋、訳される予定があるようです(ご本人からのメールによる情報)。韓国SF関係の論文の翻訳がアカデミアで掲載されるというのは聞いたことがありませんが、なんらかの価値が見いだされていなければこのようなことは起こりえないはずです。あるいはこれを読むことで、韓国の社会について理解を深めることができるのであれば、いいな、とも期待交じりに思います。
そして今回、雑誌目次にわたしの名はありませんが、「日本文学受容を考えるためのリファレンスガイド」を記事として今から書きたい、と思っています。でも、紙幅の都合で、あるいは単に刊行スケジュールには間に合わず、ウェブなどで公開することになるかもしれません。
時間をかけて綴ってきましたが、クラウドファンディングの活動報告でこんな長文を書いているのはわたしだけかもしれません。ひとつのタスクをこなすのに、人一倍時間がかかります。ここまでスクロールしてくださっている方、ありがとうございます。小学生の頃、走るのはいつもクラスで下から一、二番目でした(障害を持っていた仲の良い友人がいて、彼とクラスが同じだったときだけは二番目だったのをつよく憶えています。低学年の頃から年賀状をもらっていました)。けれどいま世界に、この文章を読んでくださっている方(スクリーンの前のあなた)がいるかもしれないという事実。そのちいさな奇跡のおかげで、難産の2号をぶじに刊行できるかもしれません。
このプロジェクトの企画を始めてから、「同人誌でなくて科研費でやるプロジェクトでは?」「助成金を申請できないの?」というお声をすでに数人の方からいただいています。現実には、研究者でも何でもないただのいち愛書家のわたしにそのような選択肢はありません。そして、資料性の高い論考が揃っているために、校正や確認(書名や表記の確認や統一性を持たせる作業に膨大な時間がかかる)に編者がかけている時間が予想の数倍をすでに超えてしまっているような実感があります。目に見えづらい部分に、とにかく時間がかかります。
疲れていないと言えば嘘になりますが、このプロジェクトも残り一週間あまり。ラストスパート、ご支援をもう少し多くの方から賜ることができたら、たとえば校正のダブルチェックをもうひとり知人に手伝ってもらうことで、トリプルチェックにすることもできるかもしれません。ここまで来たら、素晴らしい書き手たちの素晴らしい原稿を、最良の状態で送り出したいと思っています。
みなさまのご協力で、ついに支援人数は124 人、支援総額は55万円を超えました。みなさまのお近くに、本プロジェクトに関心を持っていただけそうな方がいれば、引き続き無理のない範囲で弊誌のことを紹介していただければ幸いです。各種SNSにおけるいわゆる拡散なども、ご協力をくださるとなお幸甚です。残り8日間、よろしくお願いいたします。