世界の中の日本文学に光を当てる――
文芸誌『jem』日本文学の海外受容・翻訳の状況を大特集した号を刊行したい!

目標金額の半分を達成!+創刊号と2号に込めた思い

きらきらひかるパソコンの画面の前で「うれしい…」「ありがとう」などとひとり呟くくせがつくようになって一週間あまり。たいへん嬉しいことに、すでに目標金額の53%を達成しました。ひとえにみなさまの応援とご協力の賜物であり、お礼を申し上げます。

本日は、特集「『世界の中の日本文学』の現在」に執筆いただく、パトリック・オノレさんとフィットレル・アーロンさんの略歴をご紹介します。

 

パトリック・オノレ(Patrick Honnoré)
フランス、マルティーグ生まれ。翻訳家。日本の現代文学、漫画など100冊以上の作品のフランス語訳を手掛ける。文学作品の翻訳に夢野久作『ドグラ・マグラ』、澁澤龍彦『高丘親王航海記』、古川日出男、橋本治、川上未映子、内田百閒ほか、漫画の翻訳に手塚治虫、水木しげる、杉浦日向子、谷口ジローなど。リリー・フランキー『東京タワー』の翻訳で日仏翻訳文学賞を、パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』の翻訳(関口涼子との共訳)で日本翻訳大賞をそれぞれ受賞。

フィットレル・アーロン(Áron Fittler)
早稲田大学文学学術院非常勤講師・同高等研究所招聘研究員。日本古典文学研究者、翻訳者、歌人。ハンガリー・ブダペスト生まれ、東京在住。ハンガリー語を扱う。主な翻訳書にSzarasina napló ― Egy XI. századi japán nemesasszony önéletírása ―(『更級日記―ある11世紀の日本の貴族の女性の自叙伝―』)(2018)、Száz költő egy-egy verse (『百人一首』)(カーロイ・オルショヤと共著、2022)など。研究論文に「和歌における同音異義表現の物象と人事との間の関連性について」(『人文』21号、2023年)、「日本の古典和歌における序詞とヨーロッパの民謡の〈物象序〉について」(『人文』20号、2022年)など。

今回の特集「『世界の中の日本文学』の現在」は、もとは創刊号の作業の段階で実現できるといいなと思っていた企画でもありました。本日は少しだけそのお話をします。

尹相仁+朴利鎮+韓程善+姜宇源庸+李漢正『韓国における日本文学翻訳の64年』(2012年、出版ニュース社)に鮮烈な衝撃を受けた私は、この本が刊行されて以降の状況をもっと知りたい!と思うようになりました。当初は無謀にも、さまざまな方にお話しを伺って文献を読み込むことで、複数の語圏について記事を書くというつもりでいました。本の凄さに居ても立っても居られなくなった結果、その主翻訳者である舘野晳さんに第三者を介してコンタクトをとり、取材を行う予定を取り付けます。

1935年生まれの舘野晳さんが初めて渡韓したのは1968年。日本における韓国文化紹介のキイパーソンと呼んで間違いない四方田犬彦さんの初めての渡韓は1979年、斎藤真理子さんは1980年。その頃のソウルはどんな街並みでしょうか、一生に一度でいいから、タイムマシンに乗って過去に戻り闊歩してみるのは私の夢と言えます。妄想力が過剰にすぎる?いえ、歴史を知りたいのです。

話を戻しますと、舘野さんは、『jem』寄稿者や雑誌のために取材を行った方のなかでは最もご高齢にあたると思います。

お顔もわからないなか待ち合わせの約束を取り付け、駅の改札で登場を待っていた時間、汗をかきながらひどく緊張していたのを覚えています。もしも体調がすぐれなければ、どうなってしまうだろう、等。現れた舘野晳さんは、ステッキこそ使っているものの快活そのもので、安心と驚倒がわたしの心臓を渦巻きます。

駅ビルのなかのエクセルシオールカフェに移動し、レコーダーでの録音の許可を取ってから取材を開始。長時間にならないことはこちらのほうで厳守を努めながらも、ひとつひとつの質問に本当に丁寧に応じてくださいました。この時に伺ったお話や貸与いただいた資料が、創刊号の「国別展望 韓国における日本文学受容」という記事につながることになります(わたし自身が専門的知識をもちあわせないため、当然入っているべき視点が入っていない記事になってしまっている面はすでに識者からご指摘いただいています)。

舘野さんは、わたしにとって人生で初めて「取材」を行った方としてこれからも長く記憶されるはずです。帰り際、商業施設のエスカレーターで地階に下りながら、「多くの国の研究者に寄稿を依頼しようかと考えています」と雑誌のコンセプトを伝えたところ、即座に、力強く

「それはいい」

と返してくれた、その声のトーンが忘れられません。これは、けして記憶が美化してしまったものではないとも、言いきることができます。

この文章を書いている一週間前、書店の韓国文化のコーナーに足を伸ばしたら、舘野さんが編者となった本『韓国と本に詳しい45人が “今、どうしても薦めたい本”を選んでみました』(クオン)が面陳されていました。奥付を見てみると、今年5月に出たばかり。「戦後80年という節目の年を迎え、少ないといわれてきた韓国/朝鮮関係書ですが、これまでの大海の蓄積のなかから、貴重な真珠を探し出したいとの思いが募ったのです」。そのエネルギーに触れて、目がうるむのを止めることができません。いま検索をしてみたら、この文章を書いているわずか10日前にも、日韓の出版事情をテーマにした書店イベントを行っています。

(「大海の蓄積のなかから、貴重な真珠を探し出したい」。とても素敵な表現ですね。ああ、『jem』のコンセプトとして、こういう言葉を思いつけたらよかったのに。舘野先生、こちらをご覧になっていたら、この表現をいつかお借りしてもよろしいでしょうか?)

 



アンケート回答を除外すると、『jem』創刊号でインタビューが掲載された方は劉佳寧さんだけです。けれど実際には、日本在住スペイン出身の日本文学研究者の方など、複数の方にお話しを伺っています。そうした経験のすべてが記事として完成を見たわけではなかったのは、ひとえにわたしの力不足です。今回の主特集で、オノレさんの記事だけがメールインタビューになっているのも、以上のような事情と少し関係があります。

創刊号の刊行後、執筆をいただける寄稿者の方を探すのには、非常に長い時間がかかりました。「普通」に考えれば、こんな素晴らしい方々がこんな小さな(小ささを標榜する)同人誌に(大きな)文章や論考や作品を寄せてくれる理由を探すのは難しいことでしょう。でも、そのありそうもなかったことは、いまこの文章をパソコンで、スマホで眺めているみなさんのおかげで、少しずつ実現に近づいています。

創刊号からほぼ一年のインターバルをおいて、2号はこの秋に刊行予定です。創刊号の作業で結晶化しきれなかった「初志」を今度こそ実現させたい!と多くの方の協力を仰ぎながら奮闘を続けています。すでにご支援をしてくださった方におかれましても、ご迷惑でなければ(無理のない範囲で)周りの方への情報共有にお力を貸していただけますと幸いです。

残り51日間、引き続きよろしくお願いします。

 

 

2025/07/18 12:00